田邊元(1885 - 1962)
京都大学名誉教授で、日本の三哲といわれる田邉元。
西田幾多郎やハイデガーに学ぶが、やがてどちらも離れ、田辺哲学といわれる独自の哲学を生み出した。
浄土真宗を哲学的に解釈した『懺悔道としての哲学』を著す。
歎異抄をたたえる人々16 田邊元
哲学者・田邊元
田邉元は、親鸞聖人を非常に尊敬しています。主著『懺悔道としての哲学』には、このように記しています。
教行信証を精読して、始めてそれに対する理解の途を開かれたことを感じ、偉大なる先達として親鸞に対する感謝と仰慕とを新にせられるに至った。
(懺悔道としての哲学)
また、このようにも書いています。
私は今や親鸞の指導に信頼して懺悔道を推進せしめられるに至ったことを、他力の恩寵として感謝せずに居られぬ。
(懺悔道としての哲学)
『歎異抄』については、こう記されています。
特に歎異鈔や正像末和讃中の悲歎述懐などは、その懺悔の基調に於て私を動かすこと大なるものがあったのである。
(懺悔道としての哲学)
『懺悔道としての哲学』の後に書いた論文で、実存について考察します。
実存というのは、多くの人に共通な客観的真理ではなく、自分によって世界が把握され、その世界によって限定される自分として成立します。
それは他人も同じことで、自分の実存と他人の実存が相互作用して成立するものだと考えます。
その時、『歎異抄』後序に記された親鸞聖人のお言葉を引用して、田辺元はこう言います。
わが親鸞が、如来救済の本願とその修行とは、「ひとえに親鸞一人がためなりけり」と述懐したと伝えられるのは、実存の確信を道破したものというべきである。
(実存と愛と実践)
この親鸞聖人のお言葉は、田辺元が考えた程度の浅い意味ではないのですが、表面だけとってもこのように、日本を代表する哲学者がほめたたえる『歎異抄』には。何が説かれているのでしょうか?