西田幾多郎(1870– 1945)
(写真はウィキペディアより)
京都学派の創始者で、日本の三大哲学者の1人。
歎異抄をたたえる人々8 西田幾多郎
哲学者・西田幾多郎
一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる。
(西田幾多郎)
このことは、日経新聞にもつぎのように掲載されました。
哲学者の西田幾多郎は空襲の火災を前に、
ほかの書物が燃え尽くしても「歎異抄」だけ残ればいい
と言い切った。
『歎異抄』は、
「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」
と見た西田だけでなく、誰にでも人間存在の悲しさ、善悪、救済について考えさせられる。
(日経新聞2007年12月29日)
随筆にも、このように書いています。
親鸞聖人が『歎異抄』においての善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をやという語、深く味わうべきである。
(随筆『愚禿親鸞』西田幾多郎)