
マルティン・ハイデッガー(1889 – 1976)
20世紀最高の哲学者の1人。
(写真はwikipediaより)
マルティン・ハイデッガー(1889 – 1976)
20世紀最高の哲学者の1人。
(写真はwikipediaより)
ハイデッガーは、ドイツの哲学者です。
それまで著作はありませんでしたが、1927年4月、初めての著書『存在と時間』上巻で一躍その名を轟かせました。
1920年代前半には、三木清や田辺元といった日本のすぐれた思想家がドイツを訪れています。
二人とも西田幾多郎の教え子です。
三木清は、最初はハイデルブルクに行きましたが、その後、マールブルクに行き、当時30代のハイデッガーのもとで学びました。
田辺元は、初めはベルリンで学び、その後、フッサールに師事した後、マールブルクのハイデッガーのもとで何年も学びました。
学んだといっても単なる学生ではなく、田辺元はハイデッガーより年上です。
その時の田辺元との交流によって、ハイデッガーは、後の主著『存在と時間』の中の死の概念を発展させた可能性があるといわれています。
また、田辺元は、1959年の文章では、ハイデッガーの死の理解は、十分に急進的ではなく、田辺元の哲学ほどではないと言っています。
ハイデッガーは1933年にナチス政権が成立した直後にフライブルク大学の総長に就任し、ナチスに入党します。そして積極的にナチスに加担する講演をしたり、論説を書いたりしました。
そのために1945年の敗戦で、公職から追放になります。
ヤスパースやアーレントが尽力して、1951年に追放解除になりますが、もう60歳も過ぎており、その後は時々講義したり講演したりしながら、1976年に亡くなるまで、比較的長い晩年を送ります。
ハイデッガーの哲学には、東洋思想からそのまま借用した内容があると言われますが、田辺元は、浄土真宗に基づく思想を持っておりながら、ハイデッガーには『歎異抄』の存在を知らせていなかったようです。
ハイデッガーは老後の日記に、『歎異抄』についてこう書いていることが、1963年の日本の新聞に掲載されています。
今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の『歎異鈔』を読んだ。
弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり
(歎異抄後序)とは、何んと透徹した態度だろう。
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。
遅かった。
自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が三十名近くも留学して弟子になった。
ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
二十一世紀文明の基礎が置かれる。
(中外日報 昭和38年8月6日)
『歎異抄』を読んだハイデッガーが、日本人に期待を寄せる非常に衝撃的な発言なので、掲載された紙面も出しておきます。
(参考:中外日報(昭和38年8月6日))
このように、20世紀最大の哲学者といわれるハイデッガーも驚く底知れない深い内容が『歎異抄』に記されているのです。
『歎異抄』には、仏教を聞かなければ知ることのない他力信心の極致、本当の幸せに救われた世界ばかりが記されています。
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