吉野秀雄(1902 – 1967)
近代日本の歌人で、書家でもあります。
生来病弱で、60歳頃から動けなくなり、65歳で亡くなりました。
歎異抄をたたえる人々12 吉野秀雄
歌人・吉野秀雄
晩年の64歳のときの随筆集『やわらかな心』は、代表作の1つです。
その「あとがき」に
「わたしは、じつは目下病重く、これ以上書けませんが、ただひたすらに、この本の一カ所でもいいから、読者の心にひびくもののあるようにと念じております」
と書き残しています。
その『やわらかな心』の中に、『歎異抄』のことを以下のように書いています。
二十三の年にわたしは肺結核を病んで、爾来七年間闘病生活をした。
二度死にかけた。不安な心が宗教にひかれるのは、当然の成り行きで、この間しきりに歎異抄を読んだ
(吉野秀雄『やわらかな心』)
さらには苦しいときに内から支えた力であったと、このように言っています。
戦争中の四十三の年に、わたしは前の家内に死なれ、四人の子供をかかえて、意気地なくも途方にくれていた。この際歌よみのわたしは、短歌を作ることによって救われたかのごとくであったが、その根本を内から支えた力は、やはり歎異抄であったといってさしつかえなさそうである。
(吉野秀雄『やわらかな心』)
また、歎異抄を讃える歌をたくさん作っています。
若きより繙(ひもと)きなれし 書(ふみ)なれど
今宵のわれは おしいただきぬ
歎異抄 読みゆくなべに 上人の
鏡の御影 おもかげにたつ
河和田の 唯円と呼びき 歎異抄
つづりし人ぞ この里の人
耳の底に留めし み声にうながされ
泣く泣く筆をそめし一巻(ひとまき)
(吉野秀雄『やわらかな心』)
そして、歎異抄について、このように書き残しています。
これ(『歎異抄』)をもって世界第一の信仰奥義の書とさえ信じている。
(吉野秀雄『やわらかな心』)
そして、この随筆を出した翌年、65歳で吉野秀雄はその生涯を閉じています。